はい。え、皆さんこんにちは。え、今日 10月21日火曜日の日本東京避難 キャンペスチャピラから始めてもらいたいと思います。え、初めに前走です。 え、裕二先生の で、え、も想しながら心を沈めて チャペラーへの招きの言葉私はあなたと共 にいる。あなたを見放すことも見捨てる こともない。強く大しくある。 え、サ美化377番、え、神を合わない。 え、これ1番と2番2節たいと思います。 え、では記立をしてご一緒にします。 て 全て の 時 の 走る よし 。 の さを見ろし た 。 してます。 全 に 主はどうぞおかけください。 では知識者、え、がお祈りを近く捧げます ので、皆さん目を閉じて、え、北東の姿勢 で心の中で一緒にこの色に加わって いただきたいと思います。最後にアーメン と、え、誠にその通りでありますようにと 、え、一緒に紹介していただければ幸い です。お祈りを支げます。 神様、 この芸術文化学で 良き学びと豊かな出会いの場が備えられて いることを帰りて感謝を支かさ れて今あるを得ている栽培を今一度この チャーにおいて思い起こすことをさせて ください。 私たちの人生の一言駒1は 単なる投きでも偶然でもなくて 1人が神に愛され深い配慮のことに目的を 与えられ導かれかされているのだという こと聖書は教えています。 今そのことを思い巡らしながら 、え、これから国友先生を通して告げ られる神様からのメッセージに心の耳を 傾けることができますように。 今こそこの世界に平和が 求められている時代です。 私たちが芸術という分野を通して 喜びと平和をもたらすアーティストとして このマラビアで成長し飛び立っていくこと ができるように1人1人を導き励まし強め ていてください。 心からなる感謝と願いと主イエスキリスト の皆によってお祈りいたします。あーメン 。 ええ 、聖書を報告いたします。今日は大力は 新約聖書馬体に福印書第9章9節から13 節です。 イエスはそこを立ち、通りがかりにマタと いう人が修勢書に座っているのを見かけて 私に従いなさいと言われた。 立ち上がってイエスに従った。イエスが その家で食事をしておられた時のことで ある。 朝税人や罪人も大勢やってきてイエスや 弟子たちと同席していた。 理派の人々はこれを見て弟子たちになぜ あなたたちの先生は長前に厚み人と一緒に 食事をするのかと言った。 イエスはこれにを聞いて言われた。医者を 必要とするのは丈夫な人ではなく病人で ある。 私が求めるのは哀れみであって生贄では ないとはどういう意味か。言って学び なさい。私が来たのは正しい人を招くため ではなく罪人を招くためある。 以上です。え、本日は、え、 本学の特任講師、え、国友義にお話をして いただきます。え、先生はミュージカルや あのゴスメの先生として皆さん村長の先生 でいらっしゃると思いますけれども、あの 同時に、え、 日本バプテストというね、プロテスタント の、え、横浜にある、え、横浜協会ね、え 、中心的な協会の、え、牧士の1人として もご放置されているとした、え、牧士さん としての一部の先生が乗っておられます。 え、本当に毎度大活躍の先生ですけれども 、え、本日は、え、今日は、え、罪の自覚 というね、え、ちょっとシリア書いてます けれども、え、これからお話をして いただきたいと思います。え、先生 よろしくお願いいたします。え、皆さん こんにちは。少しの時間ですけれども、
聖書から学びをしましょう。 え、今日の聖書の箇所はイエス様が ガリラ湖周辺で伝動活動されている箇所に なります。え、マイという人がイエス様に 声をかけられて従っていく場面です。現在 の、あ、この今日の聖書箇所の冒頭にこの マがいる場所は主税所とあります。これは ですね、え、現在の税務所にあたります けれども、私たちが今理解しているような 公共の福祉交通自治などを目的とした税 制度ではなくですね、当時はその土地を 政治的に支配していたローマ帝国が 絞り取っていた勢を扱う場所です。え、 ユダヤ人たちは、え、制服者にですね、 ローマ帝国に、ま、強制的に勢を取られる 屈辱があってですね、え、民の不満が ツもっていました。えー、マはユダヤ人に も関わらずですね、同胞からその勢を 取り立てるものでした。この職業は税を 取るのと同時に、え、うまくですね、私服 もこやせる職業でユダヤ人からは意味嫌わ れている仕事でした。え、自分たちから勢 を取り立ててうまく私を越やせる仕事です から、あいつらは俺たちと同じユダヤ人に も関わらずローマの手先となって、ま、 自らの私服をこやす奴らだと思われていた わけです。イエス様の同向を見てみると ですね、このマタはダマスコという町から 南へまっすぐ下っていく街道で通行勢を 取り立てていたようです。そのマタに イエス様は声を、え、かけます。 え、この聖書の中にありますけれども、するとですね、マタは立ち上がってイエスに従ったとあります。 うん。 その後ですね、この、あ、 10 節というところで、え、イエスが家で食事の席についておられた時のことである、そこに、え、税人や人が大勢やってきてですね、大勢来てイエスや 弟子たちと同席していたと。 これはイエス様、イエス様にですね、声を かけられたマタイはそのままイエス様と 同行して食事をしたと考えられます。そこ でマタを含む他の朝税人やまた罪人たちも やってきてイエス様と、え、弟子たちと 一緒に食事をしたようです。これはマタの 家ではないかとも言われてます。マタは イエス様から声をかけられて従い、その後 家でも食事をモてなしたということも考え られます。ここまででですね、1つの疑問 が生じます。なぜマタはイエス様から声を かけられて従ったのかということです。 意味嫌われている職業とはいえ儲かる仕事 です。私服を越せるし、またローマ帝国 からの保護もあります。イエス様に わざわざ従う理由がないのです。従ってい ても、ま、もしかしたらですね、仕事は やめていなかったかもしれません。 もしくは仕事をやめて従がったのか、その どちらかについては聖書には書かれてい ませんので分かりませんが、いずれにして もですね、イエス様の言葉に従った。なぜ か?これが今日のポイントです。この後、 この聖書の書いてあるところの11節に ですね、ファリサイ派の人々はこれを見て 弟子たちに、ま、イエスの弟子たちにです ね、なぜあなたがの先生は超人やつと一緒 に食事をするのかと言ったとあります。 人や罪人が一緒の扱いになっています。 ですので、やはり、ま、朝税人、主税人の マは罪人と同じように思われていたの でしょう。ユダヤの立法では罪人と食事を することは、ま、汚れとされていました。 聖書が書かれた当時は、え、病気を持って いる人もですね、実は、ま、罪人とされて いたので、ま、主税人や罪人というのは 悪人や病人たちという、ま、当時のま、 理解ですけれどもということになります。 人々から悪いや、悪人と思われていたマが イエス様に従った。なぜか?皆様どう思わ れますか? それはそもそも自分が悪いと思ってたから です。 ここが大切なのです。人の目から見て意味 嫌われていたものがやはり自分は悪いこと をしていると自覚していたということです 。罪の自覚があったから正しい方である イエス様の言葉に従った。 自覚がなければですね、そもそも従う。ま 、そもそもですね、またはなんでその従う 必要があるのと思うはずなんです。 9節には立ち上がって従ったとあります。 自ら進んで自ら立ち上がって従ったとです 。それほどまでに彼の中に罪の自覚があっ たということです。私たちは悪いなあと 思うことをしなければならないことって いうのがあります。申し訳ないなと思い ながらことを進めなければならないことも あります。そうしなければ立ち浮かない時 もあります。ま、極端な話ですね。かかり やすく極端な話ですけれども、え、 ウクライナやミヤンマとかですね、で戦っ ている兵士たちもですね、ま、戦争という
ものの中では敵を、ま、殺している殺人を しなければならないっていうことがある わけですよね。 ま、戦争の話は、ま、別にして極端な話 ですから、私たちは良くないことかもしれ ないと思うけれども、そうしなければこと がうまくいかない時があるということです 。全員が全員納得できることなら何の問題 もありません。どちらかに決めると誰 かしらに納得してもらうか折れてしれて いただかなければならないこともあります 。しかしですね、そこに少なからずまた ちょっとでもですね、悪いなという罪の 自覚があるかないかによって違うんだと いうことをこの聖書は示しているのです。 キルケゴールという哲学者は罪のことを死 に至る病と表現しました。 私たちは風やコロナ、ま、インフルエンザ 時には大きな怪我や病気など身体的な病や また精神的な病を抱えることがあります けれども、キルケゴールは人の奥深くに魂 の病として罪というものがあり、それは 絶望につがると言いました。 社会の暗い事件ありますね。人間の、ま、 痛ましい様子を見つめる時に人間の闇の 部分を視野に入れないと理解しがいことが よくあります。内面の闇の領域に人間の リアリティの一側面があるのが現実なの です。 しかし闇を理解するだけでは、え、希望は ありません。イエス様は今日の聖書の言葉 の箇所のですね、最後です。え、医者を 必要とするのは丈夫な人ではなく病院で あると言われました。 私が来たのは正しい人を招くためではなく 罪人を招くためであると言われました。 内面に罪を抱える人間を癒すためにイエス 様はこの世に来られたということです。罪 の意識がある主税人に超税人にマタに声を かけられたということです。私たちは ちょっとしたことでも罪の意識を持てるか どうかが問われています。ことは進んでも そこに罪の意思が意識があるかないかに よって生き方が変わるということです。 またそのようなことをですね、常に考え てる人は人間が豊かになります。人の痛み も分かります。その方が人間らしいと思い ます。この先の人生はどんなことがあるか 分かりませんが、是非ともそういった人に なってもらいたいです。お話を終わります 。 皆さんも可能な方は目を閉じて祈りに参加 してください。最後にゆっくりですね、主 イエスキリストの皆によってお祈りします と言いますので、一緒にアーメンと言って いただければありがたいです。どうぞ よろしくお願いします。それではお祈り いたします。 神様、今日はイエス様から声をかけられ 召されたマイから罪の意識があるかないか そのことによって人は変わる。またそうし たことを思えることによって人は成長する ことを学びました。 また罪を抱える人間にイエス様は声をかけ られるということも学びました。あのよう に神様の声にすぐに従えるようなものとさ せてください。今年も約2ヶ月で年末を 迎えます。春からの大美林での学生生活を 今まで導いてくださりありがとうござい ます。12月のクリスマスの恵み豊かに 過ごすことができますようにお1人お1人 の生活健康家族をお守りください。 感謝をしてイエス様の皆を通してお祈りいたします。あーメン。 あーメン。 はい。え、では、え、小映の 3日24 番の瞬間にご一緒に起立をしていただきます。え、上の 3 人の後引き続き、え、友先生から祝福の祈り、祝福を授させていただきます。 よ主の神 に あめ 仕事を行います。 主イエスキリストの恵み、神の愛、精霊の 交わりがあなた方一度と共にありますよう に。あーメン。あーメン。あーメン。 はい、どうぞ着席してください。高層です。