購買資料館バザール 原子力災害興商館ふるさと編 スタートでござい [音楽] ますここはですねいわき湯本温泉の古滝屋 さんという老舗の旅館でございまして そこを会場にして公害資料関連系 フォーラム院福島2023プレ企画の初日 がですね今日 終わったところでございますどうもお疲れ 様でしたお疲れ様でしたでこの9階にある 故郷の館長でもありこの古滝屋さんの オーナーでもある 里美さん 里見芳雄と言います 古田ケアの代表でありますけど僕で16代 目そして 2021年3月12日にオープンしたのが 原子力災害交渉官ふるさとでございます その故郷の特徴ってのはこのいわき湯本の この古滝屋さんというですねその老舗旅館 にあるよっていうところもですね非常に 特徴的なところなんですが 古竹屋は派遣の8年1695年 創業であります 原子力災害によって いわきではもう温泉旅館できないよそんな 全国の友人からも言われてこっちに開い てる旅館があるから 里美君引っ越してきて新たな気持ちでやっ たらなんてね言われたこともあって 悩んだんですね 悩んだのが2011年の夏頃なんですが その中でその悩みを 聞きに行ったのが先祖でありますこの旅館 の裏山にの陰に 母体1がありまして こんな時に自分の先祖だったら歌は親だっ たらじいちゃんだったらどんな判断してた のかななんてねそんな思いでお墓に尋ねて ますそこで ボランティアもねその当時は知ってました が 非難された方々 のでそれ以外の時間を使ってこの古滝屋の 歴史または 振るさとみ家の歴史というのを少し僕も 父親が亡くなってそれからまあ3年間 ずっと遺品のね整理もしてなかったので 改めて 父親がいろいろ地域活動してきた資料を 紐解いて見てみると そんな中で古竹屋のこの300年の歴史と いうのがスラスラと書いてありまして一つ は 戊辰戦争 によって 振るだけやというのは丸薬になってます そして 石炭流星 炭鉱隆正の時代には石炭の掘りすぎで 温泉の水位が枯渇が下がって枯渇して僕の おばあさんなどはね山水を汲んで空っぽに なった 浴槽にその水を張ってその当時に苦しかっ た石炭を燃やしてお湯行というのを続けて たんだということも書いてありまたは東京 で大空襲があった時に 疎開先としてねこの湯本温泉というのは役 に立ったんだよという気も聴きながらそう すると 原子力災害というのはこの古滝屋の歴史が 1000ページの物語だとするのであれば 1ページなのかなと そして その先祖がね経験したようにまあこの旅館 が丸焼きになってるわけでもないしまたは 温泉が止まってるわけでもないそして戦争 も 国内でね起きてるわけではないまあ 面々と出てる 温泉とそしてふと 枕だけあればこの地域でね 困ってる人に何か役に立つことができる だろうとそんな思いでこのいわきをもとに とどまる決心をいたしました ここ 古滝屋さんのですね 中に2年前ですね2021年3月に ふるさと開設されたということであります けれどもちょっとその経緯あのご説明 いただければと思いますまず2011年の 3月11日の東日本大震災これによって 古滝屋もそうですけどいわき市 含め東北全体がね大変なことになりまして ただまあ今もね引きずって 厄介なのが 次の日翌日に起きた 事故ですね東京電力福島 第一原子力発電所
の水素爆発これによってねまあうちの スタッフも140人おりましたけど あれ若いスタッフたちが多かったものです から 全国訪問に避難されたということもあり まして 旅館自体もね運営の機能が 失ってしまったということが起きました でその後僕はスタティツアートを称しまし て主に 双葉郡のご案内している中で いろいろな声に出せない方のお話を聞き ましてこれはきちっと残さないといけない と感じいつか 原子力災害交渉感なるものを作りたいと 思って2014年水俣に行き 2021年3月12日にオープンという ことで 至りました 3月12日にオープンてことで311って みんな言うんだけれどもそれはその 津波地震と津波があった自然災害が起きた 日であって その 人的なですね 被害っていうか災害としてのですね人員 災害としての 原発事故ってのは3月12日の爆発って いうところがですね非常に象徴的なので3 月12日っていうことも知っておいて 欲しいよっていう思いが込められて るっていう事ですねお聞きしてああ なるほどなと思った次第ですはいで このふるさとのですね特徴っていうのは県 の伝承館とかね 富岡町のアーカイブミュージアムとかね 公立の施設県立博物館なんかもあります けれども 民間の施設っていうところはねあの大変 特徴的かなというふうに思いますけれども 民間の施設として 目指していることってのちょっと教えて いただけますでしょうか まず まあお金がなかったんですからしかも 勢いでこの大事だからということで とにかく 勢いでスタートしたもんですからまあ経済 的な部分ではほぼゼロからスタートして ますそんな中で 震災後ボランティアで来てくださった大学 生がじゃあこれも作りましょうということ で当時 震災後は使われなくなってしまった宴会場 を少しねきれいに改装してくださったり いろいろな方のね 尽力で形まではできたんですね まあその後本当にたくさんの出会いの中で 特に 木村典夫さんそして三原有希子さん三浦 幸子さんの 友人でもある中筋淳さんそして 弁護団の事務局長されてます金井直子さん とという方々を中心にでは声なき声を 展示しようということで試行 錯誤しながらオープンに至っております やっぱりねあの民間の施設としての目指し ておられる所っていうのはやっぱりその 政府とかマスメディアにはなかなかこう 主流にならないような 人々の声っていうのをですねきちんと 展示していきたいっていうの思いもねお 持ちなのかなっていうふうに思いますこの 原子力災害交渉感っていうね ありますよねでこれあの水俣にある 創始者の 交渉感から取られ た2014年にみんなまたに来まして 河野視力感便の資料館は総社さんのそして 漁師の話みかん畑の 農家さんのお話またはリサイクル関係の 社長の話かなそれを全部見たときに 水俣の災害っていうのが 公開っていうのか 初めて全体 像を理解することができました そうすると今この福島で足りないものって いうのはやはり 原子力災害って声に出しづらいそんな 災害でもありますのでやはり 民の声そして 被害者の声というのが非常に出しづらい 状況そしてそれを残すものがやっぱり動き としてないという中で その水俣にいた時のね 民の立場であった 創始者さん そしてその想い感銘を受けましたのでその 交渉で交渉っていうのはとてもいい言葉だ なと思いましたこれは物見ユーザーで見る
そういうわけではないと思うんですが 博物館的なところからもう一歩 進んでなるほどみんなで考えるそして対話 をしたいんですよね それによって多種多様な方がやっぱり社会 っての 成り立ってますのでそのズレであったり または 共感であったり 補い合ったりそんなできる場所であり そしてそこからただ 小橋さんだったなということで終わるので はなくて 未来のための生き方であったりまたは 暮らし方であったりエネルギーのことで あったり飲食その他いろいろ大切にしたく てはいけないことを ここで 考えてそして話し合う そんな思いからね交渉官っていうのをつけ ました 今2つ部屋があるんですね 展示スペースねで最初はあの向かって右側 のお部屋だけがあったんですけれども今 左側にも拡張されていてこっち側が右側が 常設 左側が企画 展示室っていうような形で整理されてます であの広がった方のスペースには今は 豊田なおみさんというね写真家の方の 展示をやっていたりあとあの中間貯蔵施設 の治験社会のですね方々の展示なんかも あったりしますというこれ皆さんのねあの 里美さんのいろんなつながりの中で ネットワークができて 天神もねこの 里美さんがこういう風に展示するっていう よりはそれぞれが手作りでみんな展示を 作ってくださってる例えば三原さんもな それから木村さんもねご自身で 展示を作っておられ るっていうのがありますそれからあとです ね 民間の組織ですので結構運営委員の ボランティアの方々が関わってくれて るっていう事で そうした 企画なんかを立てたりですねツアーをやっ たりするのはあの 里美さんだけじゃちょっとテーマらないの で 周りにそのサポーターのような運営委員 っていうのもいて 成り立ってるよっていうこともぜひ知って おいていただければなと思います私も一応 ウィーンなんですかありがとうございます [音楽] 古滝屋さんの向かいには温泉神社とこれを また歴史の長い神社ありますね この辺の方皆お参りに行くという 違いですよね 温泉っていうのはやっぱり ここの温泉というのは新相会用紙1万年前 のその 海の水が その時を超えてね地表に出てきて我々 いただいてるんですねまあそう考えると 自然の恵みというのをふんだんに 受けて我々ここでなりを続けさせてもらっ てるんですが逆に言うと 自然災害はねやはりそういう意味では教授 も恵みを享受できる表示できますけどもう 一つやっぱりその 裏側にはいつまあ 傘爆発であったりとか 津波であったり地震もそうですけど 非常に一体であるというのを 意識させる部分でもあります そういう意味ではこの神社にねお参りする ことによって お願いばかりするのではなくてね 生かされてることに感謝することと やっぱり自然 を得て住まわせてもらっているという感謝 の気持ちがいつもね神社に行きますと 心に入ってきますそんなおすすめの神社 ですよそうですね本当に行くと歴史を感じ られる偉人者 いらっしゃったようで運を使い果たさない ようにしてですね 油断しなければ大丈夫なようですから やっぱりこう今お話が出てきたように故郷 ってやっぱりこうこの地域の中にあって しかも 歴史の中にこうあるんだっていうところが すごくこう実感できる 展示スペースだと思いますであの1階に ラウンジがありまして地域の人たちにも 開かれていて利用できるようになってて本 がいっぱいですね配下されていて
お父様の里見くらおさんのご著書なんかも ありますしいろいろ 読むことができるでそうしたところがもう すでに交渉感のこの故郷のですねあの 入り口みたいになっていて 上に上がっていただくと 展示スペースがあるよっていうような感じ です [音楽] 食のところでありますけれどもやっぱり いわき 湯本はですね食べ物も美味しいといろんな お店もいろいろありますけれどもやっぱり 定番ものの魚もともとね 震災前あのこの旅館でも売りにしてたんだ と思いますが 是非自慢していただければと思いますはい 自慢ですね 親潮と黒潮がちょうどぶつかるのかこの 福島沖なんですね そうすると非常にまあプランクトンも豊富 ですしそれをかけて小さい魚中級の魚 種類が豊富なのも 特徴ですそしてそれを 特に白身魚がね美味しいんですけど 漁師が取ってきてすぐやっぱりみんな刺身 で食べますよね すぐ近くで 撮った魚べいなんてねみんなで食べてた そういう意味ではねこちらいわきに来て いただく [音楽] 研修で来ていただいてもレジャーで来て いただいても 食に関してはやっぱり魚は食べてもらい たいなというのがあります 福島ですとね今まさに取り組む 処理水位などの 話が出て国に主導でね動いているところが ありまして 我々にとっては 非常に 迷惑な話でもあります 取り締まりすぎて言ってもその 汚染水っていうのはそもそも東京電力でね 発電して東京 首都圏の方々が使われた電気のいわゆる ゴミなんですよねそのゴミが福島で溢れて それをまた福島で流してしまうという ちょっとまあ傷にさらに 塩を乗られるような ただ 山のものを見るものそして 農家さんが作られる 畑のもの どれもやっぱり自然環境なんでしょうね 豊かなこともあって 我々はおいしくいただいてますその おいしい山海そして畑のものを ねぜひみんなにもね感じていただいて そしてそれは どういう有給の 歴史の中で山のものを見るものを得られる のかまたは1年間どれだけ苦労されて 農家さんの作られた 畑のものが いただけるのかそういったことも感じ ながらこの福島そしていわきの場所でこれ も体育館体感してもらいたいなと思って ます [音楽] やっぱり 震災を経て 人とのつながりというのがやっぱり 僕一番大事なんじゃないかなと思ってます 人によって今回ねあの原子力災害というの は人によって裏切られたりまたは残念な 思いをしたというのはあるんですけどでも それ以上にね人からの優しさであったりと かまたは楽しさであったりとかそんなもの を いただきましたですのでそういう ジェットコストのようなねあの体験もした そんな場所でもありますけど逆にここから いろんな 面白い人をたくさん住んでますのでこの 場所で たくさんの対話をして 全国全世界みんな友達になれるといいなと 思っててそうすると 友達になった先々の 近辺でねなんかU字が発生した時も大丈夫 かなーなんてね顔を浮かべたりまたは アクションに移って出かけてって何かこう 役に立つことそんな 関係である 日本または社会であるといい なそんなふうに思ってますのでまずこちら に来ていただいて 今もう話したこと全部味わっていただき
そして僕も 来ていただいた方とみんなとね 友達になって [音楽] 繋がり合っていきたいなと思ってますので どうぞよろしくお願いいたします ありがとうございました [音楽]