東京都大阪ってよく別の国みたいだって 言われますよね。でも実際にここに来て 最初の1週間を過ごしてみて正直僕はそこ までそうは感じませんでした。考えれば 考えるほど思うようになったんです。東京 と大阪は日本的な精神が違うわけじゃない 。その表し方が違うだけなんじゃないか。 これって結構大事なことで、日本に来た人 の中で大阪は東京より日本っぽくない みたいに感じて買える人もいると思うん ですが、実際は同じ本質を違う角度から見 てるだけなんじゃないかなと。昨日ずっと 頭に浮かんでたのがアメリカの ニューヨークと四角の関係です。 ニューヨークは誰が見ても中心ですよね。 金融、メディア、政治、文化、ボール外 まで含めて権威がはっきり見える街です。 一方でシカゴはアメリカを支配したことは ない。でもシカゴがなかったらアメリカは 回らなかった。僕はミルウォーキで育ち ました。ここから北に1時間ぐらいの町 です。だからこそいわゆるアンダードッグ の感覚は実はよく分かる気がします。子供 の頃からニューヨークが大きな存在だって ことは分かっているし、世界中の人が自分 たちの町のことを考えてるわけじゃない。 そういう感覚もある。それでも同じ国の 仲間がいて、近所の人たちがいて、そして 消えてしまうより実要性を選んできた人 たちの歴史がある。家畜や保存肉で国を 支え、物流を動かし太多せの攻撃とご代行 。引い手は全米をついでいた。大阪に来て これかなり似ってるなってほぼ直感的に 感じました。大阪も長い外から入ってくる ものを受け止める港だったわけですしね。 でも決定的に風に落ちたのはやっぱり歴史 でした。今でこそ第2人の投資みたいに 言われることもある大阪ですが、最初から そうだったわけじゃない。この前を歩いて て改めて思ったんですが、16後半豊秀義 さんは大阪を日本の中心にするつもりで この城を立てたんですよね。あの強大な 上壁って防御であると同時にかなり強い 宣言でもあったと思うんです。今権力は国 にあるって。でも17世紀所当にその政治 プロジェクトが崩れた後大阪は消えなかっ た。日本を納める側じゃなくて人飽きない 日常の役に立つことを通して日本を支える 側に回った。この転換ってすごく重要だと 思ってて、大阪の人の中には本当はもっと 重要な街だったのにってどこかで思ってる 人もいる気がするんですが、日本って体 みたいなものだと思うんです。東京も大阪 もそれぞれ違う役割をになってるだけ。町 を見てても大阪は東京になろうとしてない 。歴史的にもそもそも違う道を歩いていき ました。東京は政府、行列、行政を中心に 発展した町、参金交代みたいな制度があっ て失現イコールリスクな環境で育った。 地理的にも他の都市から入りにくい場所に ありますよね。一方で豊富系が滅びた後、 大阪には選択肢がほとんどなかった。元々 得意だった交官に全ぶりするしかなかった 。だから大阪は話す、交渉する、売る、 調整する、そういう行為を中心に育った。 それは実際に歩いててもすごく感じます。 も関さんも言っていましたが、大阪は港と して機能していたから大陸文化に近い感覚 が残っている。政人の中心が写ってもその 解放さは消えなかったんだと思います。 大阪に来る前、僕が消えてた大阪の イメージはほとんど関西の知り合いでした 。大阪の人はユムアを大事にする。地に足 がついている。そう言われてはいたけど 正直理由までは分からなかった。でも きっとすぐ分かりました。最初にそれは ちょっと慣れてたところで急にちゃうやろ を聞くと失礼というよりちゃんと会話に 引き込まれる感じがする。東京では黙って 順番を待つ癖が完全にシみついてたので 突然のジョークが考えされる空気に正直 ちょっと衝撃を受けました。言語的にも それを感じますよ。で、寒いサブでって下 に乗せた瞬間自然と会話を前に進める力が ある。遊びはあるけどちゃんと日本語。 ただ味が違う。先日大阪駅でワインを買っ たんですがその店員さんのストレートさに 正直びっくりしました。ちゃんと仕事をし たい人でほぼ車の営業マみたいに前を売ら れた。一瞬アメリカに戻った感じすらし ました。で、調べてみて全部繋がった。 大阪は転下の大だった。秋内は文化の上に 乗ってるのじゃない。文化そのものなんだ 。17世紀にあれだけの敗北を経験して それでも生き残り意味を持ち続けるために 象徴や権威に頼るわけがない。役に立つ。 適用する。今の僕にはそれが大阪というマ に見えます。も最後に1番大事だと思う こと。これだけ違ってても大阪は間違い なく日本的です。東京も大阪も同じ前提を
共有してる。人は完全に独立した個人じゃ ない。関係性や期待、共有された空間の中 で生きている。東京は摩擦を最小限にする ことで関係を守る。大阪は関わり続ける ことで関係を守る。外から見てる アメリカ人として思うのはやり方は違って も道徳感は同じということ。東京では空気 を読むイコール押し付けない沈黙がうまく いっている証拠になることもある。大阪で は空気を読む離れない沈黙は放置に 近く感じられることもある意味商売的にも 良くないでも根っこにある要求は同じ。 相手に合わせて自分を調整することは ものすごく日本的です。現稿を掛け終えっ た頃静かに年が変わりました。神社に 立ち寄りました。正月の神社はおみくじを 引くのも今回が初めてでした。結果は 小吉地。小さなご縁です。でも不思議と嫌 な気はしませんでした。むしろこの動画を 見てくれてる人たちから最近は十分すぎる ほどの恵みをもらっている気がしていた からです。驚いたのは運勢そのものよりも 人は多い静かだけど重さがある。音楽が 流れてて画学の小のあの息のような音が 軽代にふわっと広がっていました。その時 ふっと思ったんです。 外国人に大阪は違うってよく言われる。うるさいとか砕けてるとかあまり日本っぽくないとかでもこれ以上日本的な光景ってあるでしょうか?ハ年に向かって 逃れをして 2 拍して縄の下に立つ。そこでは何を信じてるかなんて聞かれません。ただここにいる石道路の間に立ちながら僕はずっと考えていました。これらは人のためだけにあるんじゃない。なんか別のものを導くためでもあるんじゃないかと。 本の一瞬ですが、世界に境えめに立ってる ような感覚がありました。人の世界が静か に終わって神の世界がそっと始まる場所だ から外国人がよく聞くどっちが本当の日本 という質問は多分間違っている。正しい 東映の中で生きていくためにどの戦略が 必要か。日本は実情と人間の雑さ、その 両方をずっと抱えてきた国です。もし大阪 が日本的じゃなかったら混沌に見えるはず 。もし東京が日本的じゃなかったら冷たく 研主義的に見えるはず。どちらもそうは 見えない。だからこそ兄弟みたいな存在な んだと思います。というわけで今週は短め の動画ですが僕はちょっと休暇です。皆 さん言いをほなチャンネル登録しといてや ベルマークも押してください。 じゃあスクマリ ちゃお。