え、11月4日火曜日、え、迎えました。 え、日向山キャンパスのチャプラーをこれ から始めてまいりたいと思います。え、 初めに、え、上駅森先生の、え、よる前走 を、え、こ軽く目を閉じてね、え、腰を 深くかけて肩の力を抜いて、え、 整えていきたいと思います。では先生お 願いします。 [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] ສ [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] チャペラーへの招きの言葉です。神様は 言われます。私はあなたと共にいる。 あなたを見放すことも見捨てることもない 。強く大しくある。 え、3美化463番、え、プログラム、え 、に貸ています。え、我が横1か1番と3 番2節だけ歌いたいと思います。では起立 をして歌いましょう。 [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] に なるべき[音楽]かは強調べ を主み[音楽] なしたは[音楽] そえ たの 主の[音楽] 道を 踏みていく[音楽]か 人筋 を[音楽] 打ちき 姿原[音楽] にも ふら 主は[音楽] 心 なし は 育え[音楽] たも 主[音楽]の道を 踏みて[音楽]いくが [音楽] はい、どうぞおかけください。お祈りを捧げます。え、皆さんも目を閉じて、え、手を、膝の上におりして、え、黙のうちに心の中でを合わせてたらと思います。最後にメトとなります。こりします。 神様、 小辛しがあ、服そのような季節になってき ました。え、体調を崩しているものもいる かと思いますが、え、今日もこうして、え 、このホールに都いチャペラーに共に預か れる幸いを感謝いたします。 この学で 今良き学びと豊かな出会いの場を与える ことを今一度感謝したいと思います。 私たちは この場に、え、今あるを得ている幸い、え 、これは単なる偶然ではなく、また単なる 成行きでもありません。尊い玉物を持った 1人1人が 神様の深い配慮のことに養、そして導かれ ていることを今心に 信じるものとなさせてください。 本日のチャペテラーワーは特別に、え、 学長であられるノ尾先生にお越しいただき ました。え、先生が語ってくださる メッセージ、え、心通りわせながら、また 思いを寄せながら 現在の自分自身を帰り見て大切な道となる 言葉をその心に刻みつけることができる ようにどうか導いていてください。 先生を強め、また聞く私たちを祝福して、 え、いてください。 今は本当に、え、希望、望みと平和が求め られている時代です。私たちの心がまず 揺ぎなき、え、 心を得た上でこの芸術の文化を分野を通し てこのように安らぎとまた望みをもたらす ものとなさせてならせてください。 これらの祈り、皆の心のうちにある祈りに合わせて主イエスキリストの皆によってお祈りいたします。あーメン。 あーメン。 では、え、聖書を協力いたします。今日は大とい聖書はそのプログラムにも記されていますが、新約聖書のリントの新の手紙、え、第 2というところです。 え、6章の第6章の8節から9節の御言葉 です。え、初めに、え、この文庫役でです ね、え、この箇所申し、え、しますと先方 作れ作れとも望みを失わずという、え、
言葉なんですね。え、それを今の新教聖書 ではこのように書いております。私たちは 司法から苦しめられても行き詰まらず、 徒方にくれても失望せず、敷いたげられて も見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされ ない。 え、本日はですね、え、芸術文化学軍長で のその正尾先生に、え、お忙しい中越し いただきました。え、今日私もですね、 楽しみにこの先生のお話を伺いたいと、え 、思っています。え、それでは本日はです ね、望みとは何か と題して、え、お話いただきたいと思い ます。え、先生よろしくお願いいたします 。 はい。え、今ご紹介に預かりましたノ争 です。 あの、祈りっていいですよねって今、え、 改めて思いましたけども、あの、私は、 あの、 えっと、キリスト教闘ではないんですけど も、あのとなんていうかな、特定の宗教 ってのはそれほどなんか信じてるわけでは ないんですが、だけれどもやっぱり日々の 中に祈りの時間っていうのはやっぱりあっ て、あの、例えば朝、あの、ま、日家とし て、え、亡くなった父と母祖母のですね、 写真に、ま、手を合わせて、ま、今日も1 日あの、私とそれからあの、私の大切な人 たちね、それは、ま、学生の皆さんもそう ですけども、含まれてますけども、あの、 無事に過ごせますようにというようなこと をもう毎日祈っている。でもなんかそう いう時間はやっぱ豊かな時間かなという風 に思っております。えっと今日はですね、 あ、そんな私があのちょっと、え、何か 聖書についてお話ようということでうんと 思ってですね、えっと、このあの石コの 障害これからちょっとあのお話をさせて ください。えっと2年前、3年前かな? あの、合唱物語 大林学園があの、え、100周年の時にね 、あの 合唱物語石コの障害っていうのを、ま、 作ったんです。で、それはあの清水安尾 先生の障害を、え、音楽と演劇とあと ダンスをこうコラボレーションして、ま、 綴っていくというものなんですね。これ YouTubeでも、あの、今まだ公開さ れてますので、是非皆さんご覧になって ください。で、ま、それの、ま、脚本出僕 が担当したんですけども、あの、清志先生 のその障害をこう色々調べる中で、ま、 これ本は、ま、接続書なわけです。あの、 お読みになった方も多いかと思いますけど も。で、これ清志先生が生前あの、え、お 話しなさったことだとか書かれたこと、 それも割とこう難しい話じゃなくて、あの 、 どういうのかな。ま、例えば入学式でお 話ししたことだとか、あ、こう、エッセで 書いてあるようなことが、ま、集められて いるんですね。とても読みやすいいい本 です。で、ま、この本ペッと開けるとです ね、この表紙のところに清が書かれたご 自分のあの自画像像とそれからあのえっと 絶筆ですよね数日前に書かれた、え、言葉 が書いてあってそれが今日あのご紹介させ ていただく方 作れども望みを失わずというやつなんです ね。で、ま、先生は98歳でお亡くなに なってるんですけども、多分というか 間違いなく清水先生はこの言葉線ども つまりもうバ事キュース、え、もう打つ手 がない。え、そういう状態になっても望み は失わないぞというこの言葉を、ま、在優 の名というか、あ、にして、ま、生きてこ られたんだなという風に、ま、思うわけ です。で、これ現元々は、えっと、聖書の コリント首都への手紙というところなん ですけれども、で、その先生の障害の中で 間違いなくこの言葉に支えられたんだろう なと僕が勝手に想像している。ま、 もちろん、え、ハ乱万上の、え、人生の中 で多々あったかと思いますけども、この時 は絶対そうだったって思ったのはですね、 え、どういう時かって言うと、あの、先生 は、あの、中国で数定学園っていうのはね 、おになって、この帯おりの元ですよね。 それであのところが、ま、戦争になって 全てあの、日本が負けてあの没収されるん ですね。作ったあの数定学園も、え、ご 自分の財産も全部、ま、没収されて、で、 ま、1つであの 、え、日本に、ま、戻ってくる。その船の 中で、あの、戻られる船の中で、え、夜ね 、看板に出て、あの、もうし、あの、身を 投げようと思ったって書いてあるんですよ 。あの、もうこのまま海に身を投げようっ てこう思われた。その時にでもと思って
こう聖書をあの取り出してポケット聖書 っていうの奥さんから書いたポケット聖書 ってのがあったんですけどもそれをこう パッと開けた。どこのページをとかじゃ なくてこうパッと開けた。で、たまたま パッとこう目に飛び込んできたその言葉が えっとどういう言葉かと言うと お前は立ち上がって騙す子へ行けしなけれ ばならないことはそこで全て知らされると いう言葉が飛び込んできたわけですね。で 、そん時に先生はこのダマスコっていうの はシリアの首都で日本で言えば東京だと。 よし、じゃあもうと東京に行こう。ま、 決めたという風に、え、書かれてるんです ね。で、東京に行けば神様は先回りして 自分のやるべきこと、お前はこれをやれて いうことをきっと用意して待ってくれてる に違いない。だから、ま、とにかく東京に 行こうて決めた。で、ま、東京に来て先生 は滋賀県の生まれですから故郷によらずに あのそのまま、えっと、マ鶴から、あ、 じゃない、マ鶴だったかな。について京都 のね。え、で、滋賀県すぐ隣じゃないです か。でも寄らずに東京にそのまま来るん ですよ。で、東京はもちろん竹の原ですよ ね。で、その原の真ん中であの香川牧士と いう、え、元々知っているとてもお世話に なった方にばったり会うんですね。偶然。 あ、こんな広い東京でここで会うかって いうような先生、あのにあって、で、そこ でその会話の中でよし、え、学園を立て ようって、ま、決められるわけですね。で 、そっからこう道は開けていくんですけど も、ま、このエピソードは僕もほすごく気 に入っていて、あの、これどういうことか なと思うんです。この線作れども望みを 失わずと言った時の望みって何だろう かっていうことをこのエピソードからも 考えるんですね。先方作れどもっていうの はつまり失望してもってことでしょ。 さっきも申し上げたようにもうバンジ キュース打つ手がない。もうどうしようも ない。もう失望してるわけですよね。 そんな失望してる時でも 望みと自分は繋がってるんだっていう感覚 。希望というものと自分は今自分の目の前 のこの周りにどこにも希望は見当たらない ように見える、思えるけれども必ず自分は 希望と繋がってるんだというこの感覚だと 思うんですよね。そしてそこで何かと 出会っていく。うん。この今の、え、 エピソードで言えばたまたま開いた聖書 から飛び込んできた言葉ってことですよね 。この 希望と繋がってるんだっていう感覚さえ あれば、必ず道は開けていくんだぞという 、ま、そういうメッセージは、ま、僕は 受け取るわけですし、それからこれは日常 の中でも結構起こってるような気がするん ですよね。あの、ほんなものすごい大それ たことじゃなくても、あの、ま、こういう の、えっと、シンクロニシティって言い方 も知ってて、うん、つまり、えっと、意味 のある偶然みたいな、偶然だけど、そこに は意味があるんじゃないかって考える。 そういう風に考えてくと人生豊かになって て、例えばね、うんと僕はあのご存知の ように、ま、舞台を結構作ってますけれど も、えっと、合唱物語、さっきね、 申し上げたような合唱物語、あの、上木 先生とかも出られて、あの、指揮者でね、 え、そういうもの作っていて、でもこう 作品、ま、画質物語に限らず、あの、作品 作りっていうもう絶えず毎日のようになん か起こるんですよ。なんかしらトラブルが 、ま、まずそもそも計画立てる段階からお 金ないぞとか、えっと、人手がいないぞと か、えっと、時間がないぞとかいうところ でスタートしてって、で、ま、ようやく じゃあスタートしても毎日のように 何かしらんこうトラブルが起こるんですね 。だけども 必ずう、なんちゅうのかな、えっと、 やれるんだっていうこと。あの、なんか こうトラブルがありますよね。そしたらば じゃどうやったらできるかって考えてく こと。オールナースじゃなくて、あるいは 0100じゃなくて、じゃ、ここ変えれば できるんじゃないかとか、こういう風に すればできんじゃないのかとか、あ、こう 自分のやりたいことのこう優先順位の中で ここだけは守っていこうとか、ここを 諦めようとかっていうそういうことを とにかくこうう、考えていくこと。ま、 これももしかしたら望みというものと 繋がってる感覚の中でやれてることなのか な。 あるいはたまたまこう目に入った偶然 みたいなものにちょっとこう自分を預けて みるみたいなことと繋がってんのかなって
いう感覚がするんですね。もう1つ ちょっとものすごい危きな例を言います。 あの、ちょっとあることを今勉強し直そう としてて、だけども、ちょっとどっから手 つけていいかわかんないなと思ってた、 思ってんです。思ってたんですね、ここん ところずっと。で、あの、僕は、ま、よく 言う喫茶店があって、ま、喫茶店でその 喫茶店はカウンター席の目の前がこう本棚 になってて、あの、自分でこう取って、 あの、どんな本でも、ま、そこにある本は 読んでいいよみたいな、そういう記店なん ですよ。それで、ま、その日も行ってで、 座ってふっと見るとこう自分が勉強し直し たいし直したい本の勉強法みたいな超 分かりやすい勉強法みたいなタイトルの あの薄っぺらな本があったんです。えっと 思ってだけども全然そんなん期待もせずに なんこんなペラっぺらだし 読んま読んだんです。あっというに読める んですね。ペラペラなんで。でもなんか僕 が欲しかった情報が全てそこにあるんです よ。あ、これだと思って、ま、みたいな ことは結構絶えず起こってるんじゃないの かって思うわけですね。あ、たまたま つまり偶然の中にあるいは友達の言葉の中 に、あ、風景の中に、え、なんか自分が 大いなるもの、あと言うとちょっと言い すぎかもしれませんけども、と繋がって いる。の多いなるものを、ま、望みと 名付けるならば、あの、清争の場合はね、 もちろん神様なわけですけども、なんか 何か大きなものと繋がってて、それを、ま 、一応望みと呼ぶ、希望と呼ぶ、その希望 と必ず自分は繋がってるんだっていう感覚 がどっかにあれば、なんかちょっとした 偶然の中にもヒントが示されてる。自分に 向けて呼びかけてくれている。そういう 感覚は僕はやっぱり持ってるんですよね、 ずっと。なので、ま、皆さんもあの日常の 中でね、困ったこと、えー、なんかもう どうしようもないんですみたいな、ま、 なんか、え、どうしていいか分かりません みたいなこと絶えず起こると思いますけど も、でもさっきも申し上げたように、 じゃあどうやったらできるんだろうなって いうことを考えていく中で、そして必ず道 は開けるぞみたいな、望みとは繋がってん だぞみたいな感覚とがあれば、えっと、 絶えヒントは目の前にある必ず という風に、ま、思ってる次第です。だし 、ま、そういう風に思って生きてると、 あの、ま、行きやすいってのがあると思う んですよね。それとなんか結構楽しい みたいなことがあると思うので、それは、 ま、僕からのお勧めです。え、ですから、 あの、ま、ちょっとね、その清水、あの、 ま、聖書のお言葉があって、ま、清水先生 のお言葉があって、ま、そっから僕自身が 得た、ま、そこともこう照らし合わせて 自分の日常の中で考えていること、自分の 日常の中で、まあ、ま、信じてると言って いいのかな。ま、信じてること。その、ま 、思考法も含めて、物の考え方も含めて、 ま、ちょっとご紹介させていただいた次第 です。ま、少しでもね、皆さんのお役に なればと思うんですけども。だから、ま、 今日のこの言葉もなんかちょっともしかし たら自分に向けた、あ、もちろん メッセージなんですけども、今自分のこの 今困ってるこのに向けてのメッセージかな みたいな風にちょっとこう 受け取ってもらえるとなんかがちょっと 変わってくるかもしれませんよという風に 思います。すいません。拙いお話であの、 え、時間ですのでこれにて、え、終了し ます。ありがとうございました。 それでは、え、小映の 29番書いてありますね。え、サンビカの 29 番天の見たも一緒に対そして、え、最後の祝福の祈りをさせて終わりたいと思います。では本を切り立してください。 29番 [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] 天 の [音楽] 父にあるもの[音楽] 父[音楽]をせいでいる 神[音楽] を称えよう [音楽] し まで も [音楽] あーメン 祝福の祈りをます。主イエスキリストの
恵みなる神の愛精霊の豊かな助けが あなた方1人1人の上に豊かにとしにあり ますようん。 [音楽] はい、着席してください。では高層にましょう。 [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] あ。